ハロワ速報

仕事、職業、就職関係の2chまとめ 移転しました。

    2016年02月

    1: 海江田三郎 ★ 2016/02/02(火) 19:23:01.20 ID:CAP_USER.net

    http://president.jp/articles/-/17208

    有名社長たちは何を考えているか

    社長が生け花を習いはじめた――。こう聞いたら、「突然どうしたのか」と
    首をかしげる人のほうが多いだろう。生け花には大和撫子的なイメージがあり、
    一見、会社経営との関係性はないように思える。しかし「経営力が磨ける」として、多くの有名企業の社長が次々と生け花をはじめているのだ。

    そもそものきっかけは、生け花文化の存続危機だった。生け花人口の減少から、アルバイトをしてなんとか
    家を維持している家元もいるという。そんな現状を打開するため、草月流生け花作家の州村衛香氏は「Flower Japan」と
    いうプロジェクトを立ち上げた。そして、2015年11月「直観力、判断力、決断力、創造性、俯瞰の眼など、
    生け花とビジネスには共通点がある」として、考えに賛同したリーダーと、「ビジネスリーダーたちのいけばな展」を開催したのだ。

    10年から中学生の息子とともに州村氏の教室に通っているのは、青井浩・丸井グループ社長。
    「生け花を通して、奥行きや幅など、あらゆる物事を立体でとらえる目を磨いています。この目で経営をとらえれば、
    お客様、取引先、地域社会、株主、我々というマルチステークホルダーが立体的に浮かび上がってきます」
    青井氏の作品テーマは「静かさと調和」。繊細な心配りで全体を俯瞰する経営の奥義が垣間見える。

    「日本のよさを海外に広めていけたら」と生け花を習いはじめたのは、程近智・アクセンチュア会長。
    「生け花は我慢の連続」という程氏が、頭の中を全部吐き出すようにして作り上げた作品が「論語と算盤」である。

    「経営は、論語と算盤、すなわち倫理と利益の両輪が複雑に絡み合っている。利益に偏り、
    わがままや邪念にとらわれそうになるものですが、最後には倫理が勝たなくてはいけない」
    程氏は、企業の不祥事が目立つ中、ビジネスリーダーが立ち戻るべき原点を生け花で示していきたいと語る。
    草花のない、土だけのひときわ異彩を放つ作品は、「青山フラワーマーケット」を展開する井上英明・パーク・コーポレーション社長のもの。
    「よい花を作る生産者は、土に徹底的にこだわります。同じように、よい経営には、理念や価値観といった、
    土づくりへの徹底的なこだわりが不可欠という意を込めました。目に見えない土台、水脈を整えることは、
    やってみると本当に難しい。しかし、その根幹なくしてよい経営はありえないのです」
    高濱正伸・花まる学習会代表の作品は、「目の前の1人が幸せであるように」。高濱氏は24歳のとき、
    高輪で牛乳配達をしながら「哲学の1年」を過ごした。そのときに見上げた冬空を表現したのだという。

    「『邪魔だから切ってごらんなさい』『このあたりが立体的になるよう足しなさい』と指導を受けるのは本当に楽しい。
    先生に教わった俯瞰の視点は、経営にも活用しています」

    生け花を授業に取り入れているのは、漆紫穂子・品川女子学院校長だ。
    「通学路で草花に興味を持ち、花瓶の水を気にするようになったという生徒がいました。草花とのふれあいは、
    思いやりの心を深めるのです。生け花を知って子どもたちは変わりました」
    そうした生徒の変化が、漆氏自身が生け花をはじめるきっかけとなった。仕事でどんなに疲れていても、
    花に触れることで気持ちがリセットされ、エネルギーがチャージされると語る。

    「私のテーマは『集う』。子どもたちの個性をこちらで無理に曲げたりせず、それぞれの『生きた素材』を大切にしながら、
    のびのび育てていきたいと思っています」
    生け花は決断の繰り返しだ。枝を切る決断をし、1回切ったら、それはもう二度と元には戻らない。
    今回の出展者の多くは生け花をはじめたばかりだというが、そうは思えないほど素晴らしい仕上がりだ。
    いずれもみずみずしく斬新で、力強い個性があるのだ。州村氏の指導が入っていることもあるが、
    日常的に決断を繰り返す経営者だからこそ、作品作りにおいても最良の決断ができたのかもしれない。



    【「経営力が磨ける」 経営トップが相次いで生花を習い始める】の続きを読む

    1: 海江田三郎 ★ 2016/02/10(水) 15:10:32.17 ID:CAP_USER.net

    https://www.bengo4.com/roudou/n_4269/

    来春卒業の学生に対する企業の採用広報活動が3月からスタートする。
    これに先駆けて、大学教授や弁護士などで構成する「ブラック企業対策プロジェクト」が2月9日、
    厚生労働省に対して「求人情報の表示」に関する申し入れをおこなった。

    同プロジェクトは、「募集段階から固定残業代について求人票で明示すること」を事業主に呼びかけるよう、
    厚労省に求めている。また、離職者数や有給休暇の平均取得日数といった幅広い職場情報を、
    事業主が積極的に公開することを期待している。

    ●「好条件を提示して若い人を釣っている企業が多い」
    ブラック企業対策プロジェクトのメンバーたちは、厚労省への申し入れ後、東京・霞が関の
    厚生労働省記者クラブで会見を開いた。若者の雇用に詳しい上西充子・法政大学教授は、
    現状の求人票には「初任給●円」などとだけ書かれていて、詳細は明記されていない場合が多いと指摘した。

    「ある企業は、ホームページで『月給21万円+インセンティブ』と、別途残業代が支払われるような書き方をしていながら、
    企業説明会で配布した資料に『21万円以上(40時間分の定額残業含む)+インセンティブ』と、
    固定残業代が含まれていることをこっそり記載していたケースもあった」
    実際は給与の中に「固定残業代」が含まれているのに、そのことが明示されていないと、
    「見せかけの月給」は高くなる。その結果、いわゆる「ブラック企業」に応募者の目が向いてしまうのだという。

    上西教授は「固定残業代が無いなら無い、もし含むのならば、何時間分いくらの固定残業代を含んでいるの
    か分かるように書いてほしいというのが、今回の要望だ」と申し入れの目的を語った。
    一方で、優良企業の例として、初任給に固定残業代を含めておらず、別途残業代を支給している会社をあげた。
    そのような会社が「固定残業代は含まない」と明記すれば、適正に残業代を支払う企業に応募者の目がいくようになり、
    「(固定残業代があることを隠す)問題のある企業が淘汰されていくのではないか」とも指摘した。
    同プロジェクトの共同代表の今野晴貴さんは「飲食関係や介護、不動産など人手不足の業界で
    、好条件を提示して人を釣っているケースが多い。本来であれば優良企業に行くことができた若い人がだまされて、
    生産性の低いところに放り込まれている」と語った。



    【学生向け求人情報「固定残業代」の明記を 大学教授らが企業の採用活動に要望】の続きを読む

    1: 海江田三郎 ★ 2016/02/06(土) 20:43:39.68 ID:CAP_USER.net

    http://newswitch.jp/p/3516

     アジアの主要国・地域の中で日本の管理職の給与が低い傾向にある。
    英人材紹介会社ヘイズの調べでは、製薬業界の研究開発部長職で、
    中国と香港は年収4000万―5000万円台に対し、日本は3000万円にとどまった。
    ジェイエイシーリクルートメント(JAC)の調べでも、シンガポールやインドネシアにおいて、
    他の外資系企業の経理部長職と比べて、日系企業の方が2―3割低かった。良い人材を獲得するには給与の引き上げが必要となりそうだ。

     ヘイズの調べでは、製薬業界の研究開発部長職の年収は中国で5400万円、香港で4500万円と、
    日本より5―8割高かった。IT業界の最高情報責任者(CIO)職では、香港が5300万円、中国が3600万円に対し、日本は2500万円だった。

     JACの調べでは、シンガポールにおける外資系企業の経理部長職の年収は15万シンガポールドル
    (約1245万円)に対し、日系企業は12万シンガポールドル(約990万円)と2割低かった。
    同じ職種でインドネシアでは他の外資系企業と比べ、日系企業の年収は3割低かった。

     ヘイズによると、中国や香港で転職の理由を聞くと、給与を挙げる声が最も多いという。
    一方、日本では「給与よりも新たな挑戦を求めて転職する声が多い」(マーク・ブラジ氏)。

     このため、日本企業は給与よりもやりがいを与えることを重視しがちだが「成果に応じて
    給与を引き上げなければ、優秀な人材は獲得できない」(同)と指摘している。
    (文=大城麻木乃)



    【中国や香港に比べ倍近い給料差も…アジアでも管理職の給与が低い日本、優秀な人材獲得で後れ】の続きを読む

    1: 海江田三郎 ★ 2016/02/10(水) 19:09:59.13 ID:CAP_USER.net

    http://dot.asahi.com/dot/2016020500051.html

    小中学生の子ども3人を育てる女性(47)の目下の不安は、姉(50)だ。独身で、ほぼ無業、
    いわゆるニートだ。親の庇護のもとに実家暮らし。掃除や洗濯も70代の母の役目で、
    金銭的にも親に頼り切っている。大手企業に勤めていた父親は、姉の将来を見越してマンションを購入し、姉の将来の生活費も残すという。

    「将来、仮に金銭的には何とかなるにしても、自分のことをやったことのない姉が、親が亡くなった後、一人で暮らしていけるのか……」
     親亡き後、頼れる身内は自分だけだ。女性は子育てに追われながらも、将来の姉のことを思うと不安が募る。
     自営業で働く独身の50代の女性には、7歳上の兄がいる。兄は父親とそりが合わず、若い頃に実家を出たきりだ。
    兄は結婚しているが、子どもはいない。アルツハイマーの母の介護と3年前に亡くなった父の世話は、
    ずっと女性一人が担ってきた。それなのに父親が亡くなると、兄夫婦は家賃がかからない実家暮らしを希望して、
    実家に頻繁に押しかけてきた。兄は収入が不安定で、さらに不動産のローンも抱えている。
    親の介護の負担は全く担わなかったのに、実家の財産だけをあてにしているのだ。
    「兄の話をするだけで怒りが込み上げてくる。同居したら、兄の介護まで私が担わされる。そんなことをしたら、
    延々と介護をするだけで私の人生が終わってしまう」
     2月12日に発売される『きょうだいリスク――無職の弟、非婚の姉の将来は誰がみる?』
    (平山亮・古川雅子著、朝日新書)には、上記のような、きょうだいに不安や悩みを抱える人たちがたくさん登場する。
     これら「きょうだいリスク」が起こる背景は何なのか。著者でノンフィクションライターの古川雅子さんは、
    「非正規化」と「非婚化」があると指摘する。総務省の「就業構造基本調査」によると、日本における非正規雇用者の
    割合は2014年には37.4%と大きく上昇した。実に3人に1人が非正規だ。また、「生涯未婚率」も上昇。
    国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、10年の生涯未婚率は男性20.14%、女性10.61%だ。

     雇用も不安定で、結婚もしていない「持たざるきょうだい」が増えているというわけだ。
     ただ、この問題は、「親」という防波堤が現在、かろうじて深刻化を防いでいるとも言える。
    親は、右肩上がりの給料や手厚い年金に守られた世代。ニートやひきこもりなどの子どもが大人になっても、
    親が支えているケースは多い。だが、その防波堤がなくなったとしたら――。
     支えるのはきょうだいだろう。だが、同世代のきょうだいもまた、不安定な雇用にあえぎ
    、自分自身の生活を支えるのがやっとのケースも多いのだ。
     著者で社会学者の平山亮さんは、現在の40、50代を「きょうだい不安世代」と名づけた。
    雇用が不安定なうえ、「家族は支え合うべきものだ」という戦後の親の価値観を刷り込まれた世代。
    「1億総中流」は崩れたのに、家族やきょうだいは平等であるという幻想を抱かされている。
    それなのに現実には、深刻な「きょうだい格差」も存在する。
     これらの問題を解決するには、問題を「家族という檻に閉じ込めないこと」と平山さんは本書で指摘している。


    「老いや貧困といった問題の解決が、過重に家族に期待されている社会の在り方にこそ問題がある。
    そのなかで、親きょうだいが骨肉相食む状態となり、やがては家族を丸ごと崩壊させる。頼りにできる先が、
    家族以外にも社会の中にいくつもあり、自由に選べること。そうならなくては、世代間(親・子)、
    世代内(きょうだい)に起こる家族の軋轢を根本的に取り除くことは難しいでしょう」



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    1: 海江田三郎 ★ 2016/02/07(日) 18:49:42.92 ID:CAP_USER.net

    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47416
    先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、
    手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。
    すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。
    ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。
    理由はすぐに明らかになりました。「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。
    深く恥じ入りました。
    気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。
    彼女は気が利く人です。一方、私は気が利かない人です。これは明らかです。でも、ここで問いたいのです
    (決して言い訳のためではなく)ーー気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。
    きっと感じていないでしょう。なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っているという事実に気づいていないからです。
    気づいていてわざと席を譲らなかったら、それは気が利かないとは言いません。単に意地悪なだけです。

    つまり、人は「自分がいかに気の利かない人間か」を知ることができないのです。ところが、他人が気が利かないことはすぐに気づき、
    指摘したり憤慨したりすることができますーー私がこんなに気を利かせているのに君はけしからん!
    おそらく現実の自分は、自分に対して抱いている自己像よりも、気が利かない人間であることは間違いないでしょう。
    これは気が利く気が利かないだけの話ではありません。日常生活全般において、似た状況は少なくありません。
    結局のところ人は実際のレベルよりも自分を高く評価することになります。
    たとえば、日常的に車を運転する生活を送っている人に訊いた調査結果があります。
    「あなたは平均よりも運転がうまい方ですか?」。この質問のポイントは「平均より」という点です。
    抜群に優れている必要はありません。あくまでも平均に比べたら「まあマシな方かどうか」という判断です。



    【なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか】の続きを読む

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